善應寺の文化財・史跡

善應寺について

当照井山歓喜院善應寺は真言宗豊山派に属する寺で、寛文十年(1670)土浦城主 土屋但馬守数直 観音堂を建立、土浦城鎮護の祈願所とされる。これ以前の記録皆無の為、この年をもって当山開創としている。観音堂下の照井は寺の山号のいわれとなった井戸で臼井鏡井などと呼ばれている。

善應寺の文化財

観音堂(土浦市指定文化財 建造物)
現存する観音堂は、文化十一年(1814)土屋相模守彦直により再建されたもの

佐久良東雄書(僧名 良哉) 扁額(土浦市指定文化財 書跡)
和歌、書道に秀でた20代住職。その後還俗して佐久良東雄と名乗り、尊皇倒幕運動に参加、萬延元年(1860)桜田事変に連座して獄死す。贈従四位

六地蔵石幢(土浦市指定文化財 工芸品)
観音堂西側小堂内にあり、花崗岩製で基礎・竿・中台・龕部・屋根・宝珠からなり
龕部に六地蔵が浮彫されている。製作は室町時代と推定されている。

照井(土浦市指定文化財 史跡)
観音堂下にある井戸で、臼井鏡井ともいわれる。水量豊富で日照りにも衰える事なく
古くから街道を行き交う旅人や住民の飲料水となってきた。
寛文十年(1670)に土屋但馬守数直によって土浦城までの間に樋が埋設され、土浦城内上水道として用いられた。

この他、本堂西側に土浦市指定文化財 史跡として
   「佐久良東雄の墓」
   「大久保要の墓」

 境内上墓地に
   「木原老谷の墓」がある


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